2009年1月19日月曜日

1/19 Today 荻生徂徠が死ぬ(1728)

荻生徂徠 - Wikipedia: "荻生 徂徠(おぎゅう そらい、寛文6年2月16日(1666年3月21日) - 享保13年1月19日(1728年2月28日)は、江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者である。本名は雙松(なべまつ)、字は茂卿(しげのり)で徂徠は号である(一説では「徂來」が正しいとする)。本姓は物部氏。父は幕府将軍徳川綱吉の侍医荻生景明。弟は徳川吉宗の侍医で明律研究で知られた荻生北渓。"
豆腐好きで有名な人。

徂徠豆腐

落語や講談・浪曲の演目である。「徂徠豆腐」は将軍の御用学者となった徂徠と貧窮時代の恩人の豆腐屋が赤穂浪士の討ち入りを契機に再会する話。

よく知られる江戸落語では以下のストーリーである。徂徠が貧しい学者時代に金を持たずに豆腐を注文し店先で食べてしまう。豆腐屋は、それを許してくれたばかりか、貧しい中で徂徠に支援してくれた。その豆腐屋が、浪士討ち入りの翌日の大火で焼けだされたことを知り、金と新しい店を豆腐屋に贈る。ところが、義士に切腹をさせた徂徠からの施しは受けないと豆腐屋はつっぱねた。そこで徂徠は「豆腐屋殿は貧しくて豆腐をタダ食いした自分の行為を「出世払い」の契約にして「盗人」となることから自分を救ってくれた。法を曲げずに情けをかけてくれたから、今の自分がある。「自分も学者として法を曲げずに浪士に最大の情けをかけた、それは豆腐屋殿とおなじ。」と法の道理を説いた。武士たる者が美しく咲いた以上は、見事に散らせるのも情けのうち。武士の大刀は敵の為に、小刀は自らのためにある。」と武士の道徳について語った。これに豆腐屋も納得して贈り物を受け取るという筋。浪士の切腹と徂徠の贈り物をかけて「先生はあっしのために自腹をきって下さった」と豆腐屋の言葉でオチになる。


徂徠はそのへんにあった皿に残っているホコリの浮かんだ醤油だけで豆腐を実に旨そうに食う。当時の豆腐屋は家まで豆腐を売りに来るのだ。

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